当たり前のものが消えていく


この農場は、生活体験型でありつつ、
ひとつの循環型社会であろうとする理想を持っている。


今、食と住の部分は、田んぼ、畑と軽い小屋作りで
何とか実現できているが、
衣の部分がまったくない。


そこで、今日は蚕や、和棉のことを調べていた。
どれもこれもシーズンが終わっているので、
来年からの展開になる。


友人に福島県の昭和村で織姫をしている子がいて、
その子に電話して、いろいろ話を聞いた。
彼女は、今日村のおばちゃんにこんにゃく作りを教わったそうだ。


「将来どうなっているかわからないけど、
子供に、自分はこんなことをやってきた、
昔の人はこんなことをしていたんだよ」
というような知恵を多く子供に伝えたい、と言っていた。


また、私が「なんか新しい展開を考えてて、
それで織物とかできへんかな」
と聞いたら、
「そうか・・・新しいものって実は古いものなんだよね」
と言ったのだ。


この農場に来て、
都会に住んでいる人々が
いかに自然と調和する生活に安らぎを感じるかを
間近に見ていると、
彼女の言葉が心に入ってきた。


昔は田舎で、当たり前だったことも、
その価値を知られず、めんどくさい、負担が大きい、
という原因で、人知れず消えていってしまう。


えらそうに言ってる私でさえ、
この前初めて森で木を切って、
階段を作った。


階段なんて、そこらじゅうにあるけど、
一段作るだけでも結構力と頭を使う。


全ての人が田舎に住むのは不可能だけど、
都市と田舎が緩やかにつながることは可能ではないか?


その可能性を、この部落で探りたい。